MotoGPライダーの幕引き~アレイシ・エスパルガロの場合
MotoGPライダーが引退を決めるのは、どんなときだろうか。
勝つことができなくなったときか?
どのチームのシートにも自分の居場所を見出すことができなくなったときか?
それとも、レースへの情熱が、別の何かよりも薄れたときだろうか。
私はこれまで、MotoGPライダーの幕引きというものに興味を引かれてきた。
彼らの幕の引き方は千差万別だが、自らの意思で引退を決めることができるMotoGPライダーは、多くはない。シートを得られるか否かという話だけではない。もしシートがあったとしても自らが望む結果を手に入れることができず引退を決めることもあるだろうし、けがによって思わぬ形で幕を下ろすライダーもいる。あるいは、内奥に激しく揺らめいていたはずのレースへの熱が次第に小さくなって、この舞台から去る選手もいる。
そして、こうした決断には、少なからず彼らの人間性が垣間見えるものだ。何を大事にしているのか、大事にしたいのか。最後のレース後に何を語ったのか……。レースのキャリアは必ずしも自らの望み通りにいくわけではない。引退の決断もまた、同じだ。しかし、「決断する」というそれ自体と(例えやむを得ずその決断に至るとしても)、去り方は、本質的にはライダー本人に委ねられているはずだ。そう思うと、興味が尽きないのである。
2024年シーズンのアレイシ・エスパルガロの引退は、ポジティブな意味で深い印象を残した。
エスパルガロが5月23日、自身の地元であるバルセロナ-カタルーニャ・サーキットで引退を表明したとき、彼にはまだアプリリア・レーシングのシートがあった。エスパルガロが望めば、おそらくは2025年以降もその座を手に入れることができたはずだ。
2024年シーズンの最年長ライダー(35歳)ではあったが、カタルーニャGPのスプリントレースで優勝を飾ったように、ライダーとしてのパフォーマンスはまだ十分に発揮できる状態にあった。
それでも、エスパルガロは引退を決めた。
当時の引退会見で、彼はこう語っている。
「僕は自分に正直であろうと努めている。ここにいる全てのライダーは、レースに向かう水曜日を待っている。それが、彼らの生活のなかでは最も重要な事柄だからね。僕も以前はそうだった」
「でもね、今は、もう少し家にいたいな、と思うようになったんだよ。子供たちと一緒に過ごすのが大好きだし、家で過ごすのも大好きなんだ。だから、僕は自分に正直になることにした。もしMotoGPライダーであることに100パーセント集中できなかったら、今ではトップになるのはすごく難しい。だから、決断したんだ」
また、2023年シーズン開幕戦ポルトガルGPで大クラッシュして引退し、2024年シーズンからKTMのテストライダーを務めている弟、ポル・エスパルガロの影響もあったという。
「彼が思ったよりも幸せそうだったんだ。走っていないときはハッピーじゃないし、家でも楽しくないものだったけど、彼は変わった。彼は本当に幸せそうに家族と過ごしている。彼が、この決断を少しばかり後押ししたんだ」
この会見で、エスパルガロは一つの事実を明かしていた。じつは、2018年シーズンに引退する間際だったのだという。2018年はチーム・スズキ・エクスターからアプリリア・レーシング・チーム・グレシーニに加入して2シーズン目で、転倒やけがが多く、完走してもトップとの差は1分もあった。引退を思いとどまらせてくれたのはパートナーであるラウラだったという。
“もし”2018年で引退していたら、最高峰クラス200戦目の2022年第3戦アルゼンチンGPでキャリア初の優勝を飾ることはなかった。そして、2024年のような締めくくり方にはならなかっただろう。そう考えると、2018年は、エスパルガロにとって一つの分かれ道だったのかもしれない。
かくして、エスパルガロは最終戦ソリダリティGP決勝レースを5位で終えた。この週末、弟のように思っているホルヘ・マルティンがチャンピオンを獲得した。
レースを終えたエスパルガロは、ピンク色のシャツを着たチームスタッフが待つピットに戻ってから、バイクを降りてパルクフェルメに向かった。映像にも映っていたが、メディアセンターからもエスパルガロとマルティンが抱き合って喜んでいる様子が見えた。
その数時間後、エスパルガロはたくさんのジャーナリストに囲まれて、囲み取材を受けていた。フル参戦ライダーとして、アプリリア・レーシングのアレイシ・エスパルガロとして、最後の囲み取材だ。
「10点満点だよ! 僕はとても幸運な人間だと思うんだ。本当に、本当に幸運な人間だってね。今週末、経験したことにはとても感謝しているんだ。これ以上、完璧な週末を考えることはできないよ」
「(MotoGPで)20シーズンを過ごし、ホームサーキットで家族とともに、そしてたくさんのサプライズとともに、アプリリアの愛を受けながら、まだ戦える状態のままさよならを告げることができたんだ……。なにしろ、あと少しでポールポジションを獲得できるところだったんだから。(※アレイシ・エスパルガロは予選Q2で2番手。ポールのバニャイアに対し、0.055秒差)」
「ドゥカティライダーと表彰台を争ったし、ホルヘ(・マルティン)はタイトルを獲得した。彼のことをちょっとだけ助けることもできた。そう、だから、上出来の10点満点なんだ。自分のこと、本当に本当にラッキーなやつだと思うんだ」
そして、エスパルガロはこう言った。
「今は、チェッカーを受けて緊張が解けたよ。本当に安心しているんだ。もちろん、アプリリアや僕のRS-GPを、とても、それはそれは恋しく思うだろう。でもね、僕はもうこれ以上、レースをしたいとは思わないんだ。だから、僕はとっても安堵しているんだよ」
「僕はとても幸せだよ。それに、たどり着いた場所、成し遂げたこと、家族や仲間を誇りに思っているんだ。人生はまた新しい幕が開ける。これ以上、望むことはないよ。人生というのは、タイミングがとても大事だと僕は思う。こんな風に引退することができて、本当に幸せだ」
エスパルガロは、いつもの口調でそう言い切った。
この囲み取材で、エスパルガロが何度も繰り返していた言葉がある。「I’m a really lucky person」だ。繰り返しこの言葉を使っていたのは、スペイン人の彼にとっては第二言語である英語の囲み取材ということもあったのだろうが、それ以上に、そのときのエスパルガロの心境を強く伝えているように思えた。
「アプリリアでの最後のレースは10点満点だ。自分が本当に、本当に幸運な人間だと思えるよ。たぶん、今日、僕は世界で最も幸運な人間じゃないかな。これ以上、望むものはないよ」
こう言って自分が子供のころ夢に描いた世界最高峰の舞台から去ることができるライダーは、どれほどいるのだろう。結果に絶望することもなく、けがの大きな影響もなく、そして、自分の意思で。エスパルガロは、笑顔のまま、自らの手でその幕を引いた。
メディアセンターからとらえた、エスパルガロとマルティンの歓喜の様子。兄弟のように抱き合って喜んでいた©Eri Ito
「僕は幸せ者だ」と言って引退したエスパルガロ。とても幸せな幕引きだったのではないだろうか©Eri Ito
最終戦、アプリリアのホスピタリティには過去のアレイシ・エスパルガロのRS-GPが置かれていた©Eri Ito
おまけの話。
ソリダリティGP日曜日の決勝レース後、大勢のジャーナリストにぎゅうぎゅうに囲まれたエスパルガロは、その場にいたジャーナリスト、フォトグラファーから拍手を受けて囲み取材を終えた。
そのあと、その場で囲み取材を受けていた中上貴晶に近づき、二人は一言二言、言葉を交わして握手をした。
中上の囲み取材の最後にも、やはり拍手が送られた。
エスパルガロも中上も、笑顔で囲み取材の場であるメディアセンターをあとにした。シーズンの最終戦は、そんな風に、メディアセンターにも独特な雰囲気が流れている。
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